仙台生まれ、途中盛岡・青森もあったけど、基本仙台育ちのボウケンオンナノコ!です。

みなさん、仙台と言えば何ですか~?

笹かま~ 伊達政宗~ ずんだ~ 萩の月~ 七夕~ 青葉城恋歌~

はい、そうです「牛タン」ですね。

仙台人はあんまり牛タン食べない?!



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大阪で「タコ焼き器」がどのご家庭にもあるように、

名古屋で「
つけてみそかけてみそ」がどのご家庭にもあるように(いや、これはちょっと自信ないけど)、

仙台で「牛タン」が冷蔵庫にある家庭は。。。。。

ないんじゃないの???

わたしと「牛タン」の微妙な関係



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わたしのお母さんは仙台から車で1時間ほどの宮城県内の小さな町出身。

高校卒業後、結婚し転勤するまで仙台で暮らしていました。

うちの炊事担当者であるお母さんのバックグラウンドがかくあるあるということは、

うちの食文化は宮城・仙台の文化が色濃く出ていると考えて間違いないでしょう。

お父さんは岩手県出身であるけれども、正月の雑煮だって仙台風。

芋煮だって味噌に豚肉だ!!(でも醤油に牛肉の山形風もすき。。。)

そんな家庭の食卓に「牛タン」が登ったことは、わたしの記憶が確かならば、1回きり。

それはわたしが結構大きくなってから、県外からのお客さんが来るということで母が特別に用意したものだった。

そもそも「仙台牛タン」の歴史って



第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりである。佐野は、1930年代に師事していたフランス人シェフより牛タンの旨さを説かれ、自ら研究を重ねていたことから、タンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案した(米軍の残り物説について仙台牛タン振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている)。ー出典:Wikipedia


このように「仙台牛タン」って「伊達政宗」とか「奥の細道・松島」のような宮城・仙台の歴史から見たら比較的新しいものなんです。

佐野の牛タン焼きの発明から長らくは、牛タン料理はそれほど市民に人気があるわけではなかった。もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。やがて高度経済成長期になって、他都市から仙台への転勤族や単身赴任者が増えると、昼食時や夜の街で仙台牛タン焼きの味を知り、仙台赴任からとりわけ東京に戻ったサラリーマンの間で仙台牛タン焼きは評判になった。また、牛タンの高蛋白質の割に脂肪が少ないことがマスメディア等で紹介され、ヘルシー志向の人たちのみならず国民全体に牛タンが受け入れられていった。このような流れに乗って仙台牛タン焼きも有名になっていった。ー出典:Wikipedia


なるほど、外食から生まれた料理なので、家庭で食べられることは殆どないと。(※ご家庭によって差があります(当社比))

その上、うちは外食で「「牛タン」食べに行こう」ともならず。

わたし自身も1歳半~小学校3年生まで宮城県外で育ったためか「「牛タン」食べたいよぅ」なんて頭にも浮かびませんでした。

社会人になって東京に出て周りから牛タンの話題が出るようになり、

ちょっと知っておかなきゃだめかな~と思って食べるようになった。

そんな感じですな。

そんな仙台人のわたしだってもちろん「牛タン」食べればおいしいです。

仙台に来たらぜひ味わってほしいもののひとつ、オススメですよ~。